混合技法とはあるドイツ人の勘違いから生まれた技法?
混合技法は15世紀ルネサンスの画家が使っていた技法といわれていますが、正確にはどうやって描いたのかなどがはっきりとは分からないのだそうです。
それで
ドイツ人のマックスデルナー
という人がファン・アイクらルネサンスの画家の描き方を研究して
「絵画技術体系」という書籍を完成させました
そこから「混合技法」という技法の名前ができたのだそうです。
なので、ほんとうにルネサンスの画家たちが使っていた技法のことを「混合技法」というのではなくて、マックスデルナーが考え出した技法なのだそうです。
ウイーン幻想派とは?
1950年前後にオーストリアのウイーンに集まって古典絵画技法(油絵具とテンペラを併用した混合技法)を再建させた一派のことをいうのだそうです。
中心となった人物が「ルドルフ・ハウズナー」
という画家で、代表作は「黄色い帽子の道化師」という作品です。
画像がないために掲載できないのですが、高校の美術の教科書に作品が載っていたのを覚えています。
図書館で探してみると見つかるかもしれませんね。
そのほかに
エルンスト・フック
ヴォルフガング・フッター
アーリック・ブラウアー
アントン・レームデンという画家がいるそうですが、なかなか画集などで見ることはほとんどありません。
ウイーン幻想派のことを知ってから、インターネットや図書館で調べてみたのですが、彼らについては全く情報を得ることはできませんでした。
彼らが活躍したのはいつ頃ですか?
彼らが最も活躍したのは1960年~1970年代だそうです。
今からおよそ、60年から50年前になりますね。(2019年現在)
日本ではじめてウイーン幻想派絵画が紹介されたのが、1972年の東京小田急百 貨店で開催された「ウイーン幻想派展」だそうです。
当時は
といったいわゆる抽象画が主流を占めていたので、具象画で古典絵画の技法で描かれた「ウィーン幻想派」の絵画は、当時の日本人画家たちにとっては驚きだったと思います。
ルドルフ・ハウズナーとは
ハウズナーは1914年生まれ。
戦前に生まれ、戦争に兵士として服役し、戦争から帰ってきてから絵を描き始めました。
戦争で4日間、山小屋に閉じ込められて飢え・寒さと恐ろしい体験をしてきているからか、穏やかな絵は描けないという話でした。
板に描いてはつぶし、描いてはつぶし・・・その繰り返しで7~8年で絵を完成させています。
ウイーン幻想派、他の4人はこのハウズナーに影響を受けています。
ハウズナーは20世紀に混合技法を復活させた一人で、*白色浮き出しはアクリル絵の具で描いています。
*白色浮き出しとは、地塗りに茶色の中間色を塗っておき、白色の絵具で明るい部分を描き起こしていくことをいいます。
1980年代の美術の動向について
私は1980年後半~1990年代に大学生だったのですが、本当に抽象画が主流で、抽象画を分からない人は美術を理解できていない人という雰囲気がありました。
田舎から東京にでてきた私はなにが美術か全くわからなかったので、それが美術の最先端で、かっこいいもの
分かる人は美術を理解している人なんだ。そう思っていました。
それなので、抽象画のような絵を描いていましたが、本当は見たままを絵に描く、普通の油絵を描きたいなと思っていました。
今は写実絵画が人気があって美術(絵画)にも時代の流行があり、時代によって絵も変わっていくのだな、感じています。
私の時代に混合技法を学ぶことはなかったのです。
それは1989年~1992年に大学生だったからなのですね。
当時は抽象画が主流だったですし、教えてくださる先生方も抽象画を描かれていた方たちばかりだったからなんですね。
それから、学ぶ大学によっても違うと混合技法は知らないままなのだな・・・。
そう思いました。
ウイーン幻想派の絵画は美術系のテレビ番組でも取り上げないし、美術誌でも見ません。展覧会も。
私は、たまたま絵画教室で先生からウィーン幻想派というものがあるのだと教えてもらえたからこうして記事にまとめることが出来ていますが、
そうでもなければ、なかなかこういった画家たちが存在して
活躍したことは知り得ることは難しいと思います。
インターネットで画像を探してみたのですが、本当に見つかりませんでした。それくらいマイナーな画家たちなのだと思います。
まとめ
「混合技法」とは油絵の具とテンペラ絵具の両方を使った技法で、15世紀のファン・アイクの技法を研究していたドイツ人の「マックス・デルナー」という画家が生み出した技法のことをいいます。
「ウイーン幻想派」とは、1950年オーストリアのウイーンに集まって古典絵画技法(油絵の具とテンペラ絵具を併用した描き方)を再建させた一派のことをいいます。