【絵の読み方】絵画の意味とは?西洋絵画とキリストの生涯

西洋絵画は読み物だったの?

こんにちは。

あなたは、油絵っていうと、どんな感じの絵を思い浮かべるでしょうか?

やっぱり、ゴッホとピカソの絵でしょうか。

フィンセント・ファン・ゴッホ作
「ひまわり」
1888年

それから、

印象派のモネやルノアールの作品が有名ですぐに思い浮かぶのではないでしょうか。

ピエール・オーギュスト・ルノアール作
「じょうろを持つ少女」
1876年


そんな時代よりもずっと前の時代

14世紀から15世紀にかけてのヨーロッパでは

絵画(油絵)は、キリスト教を広めるために描かれていました。

古い時代の西洋の絵画(油絵)って、実は読み物だったのです。

当時の人たちは識字率はとても低くて、ほとんどの人達は文字を読むことが出来なかったのですね

それで

絵画(油絵)はキリストの教えを広める役割を担っていたのです。

キリスト教を理解するだけで

ぐっと、西洋絵画が何について描かれているのかが分かるようになりますよ。


ざっくりと

私の好みでの絵の選定ではありますが、キリストの生涯を、絵画とともに、みていきましょう!

まず、はじめに

キリストの家族~生い立ち~

キリストの母親は「聖母マリア」というのは知っていると思いますが

聖母マリアのお母さん、キリストからみたらおばあちゃんですね、その人は「アンナ」といいます。

そして、キリストからみたら、おじいちゃんはというと、「ヨアキム」という人です。

キリストの生涯については

この、「アンナ」と「ヨアキム」が聖母マリアを懐妊することから始まります。

キリストの祖父と祖母のヨアキムとアンナ

「エルサレムの金門で出会うヨアキムとアンナ」
フィリッピーノ・リッピ作
1497年

大天使ガブリエルによって聖母マリアを懐胎することを
告げられたあとに、エルサレムの金門で出会うヨアキムとアンナの老夫婦

ヨアキムとアンナは20年間、子供に恵まれませんでした。

二人とも高齢になっていましたが

ヨアキムは荒野で40日間断食をして、神に祈ります。もし、神が子供を授けてくださったなら、神に捧げますから。そう神に誓って、子供を授かることを強く願ったそうです。

一方、アンナも、強く子供を授かることを神に願っていました。もし、子供を授かりましたら、神にお仕えさせることを誓いますと

すると、天使が表れて

アンナは老齢であったにもかかわらず、懐妊したことを天使から告げられます。

ヨアキムとアンナはエルサレムの金門で出会い、子供ができたことを喜び合うのでした。

キリストの父はヨセフ、母はマリア

ドイツ・聖ローレンツ教会
acworkさんによる写真ACからの写真をお借りしました。

マリアは14歳になり

神の定めにしたがって婚約することになります。

そこで、マリアの夫を選ぶにあたって、大天使ガブリエルのお告げで成人男性が集められました。

そして、集められた男性たちには「杖」がひとりひとりに渡されたのです。

「杖の先に花(百合の花)が咲いた者が、マリアの婚約者となる人です。」天使ガブリエルはそう告げると

大工のヨセフの持つ「杖」に百合の花が咲きました。

大工ヨセフは「私は高齢ですから」と言いましたが、天使のお告げのとおりマリアの婚約者となったのでした。

この時、マリアは14歳なので、ヨセフとの年齢の差はかなりあったようです。

ヨセフは、絵の中でも老人として描かれていることが多いですね。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作
「大工の聖ヨセフ」
1640年

マリアはこうして大工ヨセフの婚約者となった訳なのですが

ある日、大天使ガブリエルがマリアの前に現れて、「神の子を身ごもりましたよ」そうマリアに告げるのです。

その時の場面を描いた絵画作品はたくさんあり、

なかでも

レオナルド・ダ・ヴィンチ作の「受胎告知」は有名ですね。

レオナルド・ダ・ヴィンチ作
「受胎告知」
1472年~1473年

アトリビュートとは

受胎告知のテーマで、たくさんの画家が作品を描いていますが

昔のキリスト教絵画は

一目で見て、描かれている人物が誰なのか分かるように、必ず「ある特定のモチーフ」を描き入れています。

たとえば・・・。

必ず、天使ガブリエルが手にしているのは百合の花。

そして、マリアは青いマントを身にまとっている、というようにです。

フラ・アンジェリコ作
「受胎告知」
1430年~1432年
ダンテ・エイブリエル・ロセッティ作
「見よ、我は主のはした女なり」(受胎告知)
1849年~1850年

ロセッティの作品では、天使に羽は描かれていませんが、百合の花を手にもっていることから、天使ガブリエルということが分かります。

マリアは青いマントは身に着けていませんが、ベットの手前に掛けてある赤い布に百合の花が描かれていることや、頭の上に後光が描かれていることから、マリアであることが分かります。

その他には、

マリアであることを示すモチーフとして描かれているものは、

「棘のないバラの花」

「12の星のついた王冠」

「三日月」

も聖母マリアであることを示すモチーフです。

このように、昔の西洋絵画は「何」が描かれているかで、特定の個人を指したり、聖書の一場面を描いたものだったんですね。

このように、特定の人物を示すために描かれているモチーフのことを「アトリビュート」とよんでいます。

聖母マリアと幼子イエスキリスト

そうして、マリアはキリストを出産して、育てていくわけなんですが

この、聖母マリアと幼子のイエスキリストを題材にした絵画もたくさん描かれています。

フィリッポ・リッピ作
「聖母子と二天使」
1465年
ウィリアム・アドルフ・ブグロー作
「天使の歌」
1881年
ラファエロ・サンティ作
「ヴェルヴェデーレの聖母」(牧場の聖母)
1505年~1506年

なかには、

ラファエロの絵画のように

マリアとキリストの他に、もう一人子供が描かれていることが多いのですが、その子は「洗礼者ヨハネ」という人物です。

キリスト教絵画の登場人物

洗礼者ヨハネとは

ヨハネは、

マリアの遠い親戚のエリザベトの子供で、ヨハネもまた、天使のお告げを受けてエリザベトのおなかの中に宿った子供なのです。

ヨハネはキリストの少し前に生まれて、ユダヤ人に対して神を敬い、洗礼をうけるように熱心に勧めていた人物でした。

そして、ヨルダン川で、キリストに洗礼を行った人物なのです。

アンドレア・デル・ヴェロッキオ
とレオナルド・ダ・ヴィンチ作
「キリストの洗礼」
1470年~1480年
レオナルド・ダ・ヴィンチ作
「洗礼者ヨハネ」
1470年~1480年

サロメとは

ギュスターヴ・モロー作
「出現」
1876年~1877年
アルフォンス・ミュシャ作
「サロメ」
1897年

キリスト教絵画の中に登場してくる人物の一人で

父親は古代パレスチナの領主だった「ヘロデ・アンティパス」

洗礼者ヨハネは、ヘロデの結婚に非難したために捕らえられてしまいます。

そして宴会の席で踊りを披露したサロメの褒美として、ヨハネの首がサロメに差し出されました。

サロメが、褒美として、ヨハネの首がほしいと言ったからなのです。

そのためにヨハネは処刑されてしまいました。

その、サロメの異常性といったことからも、中世からずっと芸術作品のモチーフになってきています。

マグダラのマリアとは

西洋絵画では、悔い改めた女性として描かれることが多いマグダラのマリアなのですが、本当の特徴については何もわかっていないそうなのです。

福音書というのは、キリストが亡くなってから、のちに弟子たちによってキリストの言動を記録した文章のことなのですが、

そこに書いてある内容がすこしずつ違うからなのです、

ヨハネによる福音書

マタイによる福音書

マルコによる福音書

ルカによる福音書

の4つの福音書が現在正典として残されていますが

ヨハネによる福音書以外の3つの福音書には共通点があり、「共観福音書」といわれています。

その中で、マグダラのマリアは、聖女であったという内容で書かれていたり、娼婦であったがキリストによって悔い改めたという内容のことが書かれていたりと、歴史の過程で幾度となく書き換えられているようなのです。

また

調べていくと、画家や彫刻家が、ピエタ(聖母マリアがキリストの亡骸を抱き嘆き悲しむ姿を現したもの)を描いたり、制作したりするときに、

母親のマリアなのか、マグダラのマリアなのかを作家(画家・彫刻家)によって使い分けているのではないだろうか?という意見もあるのです。

ミケランジェロの「ピエタ像」という彫刻作品は有名ですが、その作品では、服のすそから聖母マリアの足が少し除いているそうです。

本来なら、聖母マリアは服のすそから足は出さないという表現の決まりがあるらしいのですが、足がのぞいているという事は、ミケランジェロは、キリストの亡骸を抱いているのは、本当はマグダラのマリアであることを、作品を通してひそかに言いたかったのかもしれませんね。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作
「ゆれる炎のあるマグダラのマリア」
1635年~1638年
ミケランジェロ作
「ピエタ像」
1498年~1500年

ユダとは

イエス・キリストが訴えていたのは、絶対的な神様の愛でした。

この時代、民衆は貧しく飢えていました。また、徴税人や娼婦、非ユダヤ人は卑しい者とされていて、迫害を受けていました。

イエス・キリストはこうした弱い人たちこそ、神様から愛されて天国へ行くことが出来ると、訴えていたわけなのです。

しかし、

こうした教えに対してユダヤ教の人々は

キリストを、ユダヤ教に対しての独立運動の過激派として見るようになります。

そして、弟子のひとりである「ユダ」という人物の裏切りによって、処刑されてしまうのです。

当時のパレスチナのユダヤ教では、宗教上の罪では、石投げの刑でしたが、政治上の罪では、十字架刑でした。

キリストは、宗教上の理由ではなくて、

政治的な過激派の主要人物と捉えられて処刑されてしまったのですね。

ジョット・デ・ボンドーネ作
「ユダの接吻」
1304年~1306年
パドヴァ・スクロヴェーニ礼拝堂

「ユダ」はキリストに不信感を抱き、ユダヤ人指導者たちに銀30枚でキリストがどこにいるかを知らせて、捕まえさせてしまいます。

誰がキリストか分かるようにキスをするように祭司長から言われていたユダは「先生」と言うと、キリストに駆けつけてキスをしました。

キリスト教における裏切り者の信愛のキスは背徳の合図。

ユダの接吻(キス)はユダがイエス・キリストを売るために行った行為の場面です。この、裏切りの行為の場面はキリスト教絵画ではよく描かれています。

キリストの受難と復活

ルーベンス作のキリスト降架
(三連祭壇画中央画面)
アントワープ大聖堂
の作品をもとに
リュカズ・フォルステルマンが版画で制作した作品
アントワープ王立美術館
1620年

そうして、ゴルゴダの丘でキリストは処刑されてしまうのですが、

3日後に復活を果たします。

アレクサンドル・アンドレイヴィチ・イワノフ作
「復活後にマグダラのマリアの前に現れたキリスト」
1835年
アレクサンドル・アンドレイヴィチ・イワノフ作
「民衆の前に現れたキリスト」
1837年~1857年

まとめ

いかがでしたでしょうか。

西洋の14世紀~17世紀頃までの絵画は、キリスト教の普及・信仰のために絵画や彫刻は描かれ・作られてきたことを理解すると

どんなことが描かれているのかが分かって、面白いし、興味も出てきませんか?

「マグダラのマリア」や「サロメ」などは芸術作品のテーマとして使われてきています。

キリストの生涯や、その当時に実在した人物のエピソードについても、謎が多くて調べていくとさまざまな見解があることがわかります。

だからこそ、芸術家(画家)の創造を刺激して、今までにさまざまな作品が生み出されてきたのだと思うのです。

これを機会に、

絵画は感性で感じる・見るということの他に、西洋の歴史や文化を理解すると、絵を読み物として見ることにより

「分かった!」「おもしろい!」を感じていただけたのではないでしょうか。

絵は読み物でもあるんです。

当時の画家や人々の暮らしを感じて、思いをはせてみるのもいいものですよ。

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